友好訪問の旅を終えて
2007年ネパールクムジュンスクール友好訪問団
団長 佐伯 信春
世界一高いネパールの山エベレストの山麓にガイドの村クムジュンがあります。当芦峅小学校との友好を結んで13回目の交流になります。初めてクムジュンスクール訪問への参加です。
ネパールの首都カトマンズは最初の訪問地でした。
ネパールは1990年の政治の民主化以降経済的にも進歩しつつあります。都市の中心部は交通の渋滞、いや渋滞ではなく無茶苦茶な運転のわがままな道路横断、自転車、オートバイの無謀な入り込みや混雑、都市特有の大気汚染。しかし町を歩けば長い歴史で築かれた煉瓦造りの古い家並みや寺院に出合います。人々はバザールに集まり活気に満ちています。時折日本では考えられない汚い服装の人々に出合うこともあります。
さて、11月8日、ネパールクムジュンスクールを訪ねました。ヘリコプターからは、カトマンズ盆地に広がる家々と寺院、広々とした耕地、峡谷から山の頂上までの段々畑が連続して形成されています。北の雲間に瞬間的に、夢にまで見たエベレストが凛として立っていました。ここからシャンボチェの峠に眠る立山とヒマラヤを結んだ大功労者故佐伯富男氏のお墓に参拝します。線香を焚き、手を合わせると、自然と涙が出てきました。「富男さん、富や、トンコや。」と心の中で呼びました。
澄んだ空、点々と青瓦のクムジュン村の家々。いよいよクムジュンスクールとの交流です。クムジュンの生徒が2列に並んで拍手しながら、ナマステ、ナマステ………の大歓迎です。集会場には村人が200人程集まって、中に入れなく外にいる人もいます。
対面の挨拶の後は、歌や踊りの交換です。当小学校では芦峅甚句を踊る予定でしたが、持っていった機械が動かず、急に私の出番となりました。何とか唄い踊り終えると大拍手でした。子供たちは中に入り、輪になって手を取り合って交流し、友好の絆を深めました。この時、ここに来て良かった、いつまでもこの温かい心の絆を続けていこう、続けようと思いました。これができるのも元気な身体が何よりとも感じました。次の訪問には是非体力作りが大切かと思います。
この訪問にご支援くださいました立山町、立山芦峅地区、立山エベレスト友好協会の津田さん、オンエア富山の皆さん、小学校の先生、PTAの皆さん、本当にありがとうございました。
ネパール訪問雑記
立山芦峅小学校
校長 冨田 裕美
近代的で広いバンコクの空港で飛行機を乗り継ぎ、野原の真ん中で何もない広々としたカトマンドゥの空港に降りた時、ああネパールに着いたのだというしみじみとした思いと、夢の中にいるような気分が入り交じり感慨もひとしおでした。
バスの窓から見るカトマンドゥの街は、車、バイク、人であふれ、活気に満ちていました。けたたましくクラクションを鳴らして行き交う多くの車のせいか、山から見る街の風景がスモックのせいでかすんで見えます。
道ばたに並ぶ多くの店には、衣料品、果物・野菜などが色とりどりに並んでいます。
着いた翌日にクムジュンスクールを訪問する予定でしたが、天候不良のためヘリコプターが飛ばず、延期になりました。予定を変更して、午前中は世界遺産である仏教寺院やヒンドゥ教寺院の見学をしました。予定が変更になったおかげでお祭りのため1ヶ月間の休暇に入り、訪問できないと思っていたカトマンドゥのヒマラヤスクールの訪問ができることになりました。混雑した町中を抜けると、菜の花が咲く畑、小高い山々に続く千枚田、稲刈り前の田んぼ、籾を干す風景等、煉瓦造りの家がなければ、日本の農村の原風景を見るようです。峠まで子供たちと先生が出迎えてくれていました。マリーゴールドで作った花輪を首にかけてもらい、子供たちとしっかりと手をつないで学校まで歩きました。子供たちは盛んに英語で話しかけてきます。十分コミュニケーションがとれないのが残念でした。ネパールでは英語教育がされており、英会話の必要性を痛感しました。学校に着き、歌やこま回しやドッジボールで交流しました。
翌日は天候が良く、いよいよクムジュンスクール訪問です。古そうなヘリコプターに乗っていっきに標高3,800メートルの地に降り立ち、迎えの人たちとゆっくりゆっくり歩いてクムジュンに向かいました。賑やかで土埃と排気ガスのカトマンズに比べ、空気は澄み、ゴミもない、静かなクムジュンでやさしく温かい歓迎をしてもらいました。いただいた温かいジュースやクッキーのおいしかったこと。講堂に導かれ、かわいい衣装を着た子供たちの踊りで交流が始まりました。
ふと後ろを振り返ったとき、講堂が人々でぎっしり埋め尽くされているのを見て驚きました。日本からの訪問団への関心の高さが表れているようでした。立山芦峅小学校訪問団がステージに上がり、団長、副団長の挨拶の後、子供たちが学校紹介をしました。ここでMDプレーヤーが使えなくなるというハプニングが起こり、校歌は伴奏なしで歌いましたが、芦峅甚句が踊れないのではないかと思ったところ、総代さんが即座に歌って下さいました。
時間が限られており、十分に交流ができなかったのですが、村を歩いているときのすがすがしさ、村の人たちの見つめる目の温かさ、子供たちのつぶらな瞳、かわいい笑顔を深く心に刻み、クムジュンを後にしました。
6日間のネパール滞在で、世界遺産である旧王宮やみごとな彫刻がほどこされた寺院建築などの文化遺産の見学、バスの中からや歩きながら見た街や人々の様子、買い物や食事、それらを通してネパールの人たちとのかかわり、そして何よりもヒマラヤスクール、クムジュンスクールとの交流を体験しました。日本と違う雰囲気、環境、光景を目にし、肌で感じ、中身の濃い、得るものが多い旅だったと思います。
このようなすばらしい体験の機会を与えていただき、協力して下さった立山町、芦峅寺地区や同行して下さった総代さんはじめエベレスト友好協会の方々、保護者のみなさん、そして、ネパールで付き添いお世話して下さった現地のマルシントラベルのみなさんに心から感謝しています。
立山芦峅小児童の記録
満足感味わうネパール料理
佐伯 颯太(5年生)
僕たちは、11月5日から11月12日までネパール訪問に行きました。
ネパールの食事について調べていたので、ぼくはネパール料理がどんな味なのかを楽しみにしていました。ある日、ぼくたちはネパールのレストランに行って「ダルバートタルカリ」(ネパールの定食)を食べました。
豆のスープは大豆のような味がしました。コメはちょっと長めでバサバサしていました。チキンはやわらかくてジューシーでした。少し甘くて辛みもあって、照り焼きのような味がしました。つけものは、せんぎりですっぱい味でした。青菜のいため物は、ホウレンソウのようで少ししょっぱかったです。
食べる前は、とてもからいのかなあと思っていたけれど、ぼくでも食べられるからさでした。いろいろな味があって、とてもおいしかったです。僕は、この「ダルバートタルカリ」を食べて、満足感を昧わいました。
11月8日 僕たちは、カトマンズ空港でヘリコプターに乗って、クムジュン村に行きました。そして、クムジュン村に着きました。ヘリコプターを降りたら、なんだか気持ちが悪くなりました。高山病でした。そして、クムジュンスクールまで歩いて行きました。着くと、100人ぐらいの人が僕たちを迎えてくれました。一回休憩をしました。そして、発表するステージへ行きました。僕は、頭痛と寒気、その上意識がもうろうとして何も発表できませんでした。
でも、僕がクムジュンの人に歌ってあげたかった校歌(注:颯太くんは立山芦峅小の校歌をネパール語に翻訳した)を、みんなが歌ってくれました。寝ながらほっとしました。僕は、ヘリコプターに運んでもらい、お医者さんに酸素吸入をしてもらいました。そして、20分くらいで治りました。もしもお医者さんがいなかったら大変なことになっていたと思いました。
そしてみんなが交流を終えて戻ってきたので一緒にカトマンズに戻りました。カトマンズでは、すっかり元気になりました。
今後行く機会があったら、またネパールでダルバートタルカリを食べたいです。
スクール訪問 歌などで交流
佐伯 蘭(5年生)
私が一番心に残ったことは、クムジュンスクール訪問です。
クムジュン村に着き、ヘリコプターから降りて、クムジュンスクールまで少し歩きました。頭がとてもいたくてつらかったです。
クムジュンスクールに着いて、あたたかいマンゴージュースとビスケットをいただきました。寒かったのでおいしかったです。

交流会の発表では、MDが気圧のせいで音が出なくなっていました。二年前は大丈夫だったのに、どうしてかなあと思いました。
校歌は何とか音なしで歌えました。でも、芦峅甚句は音なしではおどれません。みんなが困っていると、総代さんが歌ってくれるというので、みんなおどることができました。とてもうれしかったし、よかったなあと思いました。
プレゼント交かんでは、ヤクの置物とクムジュンスクールのスクールバッグをもらいました。こちらからわたした文ぼう具、サッカーボールなどのプレゼントをよろこんでくれたらいいなあと思いました。
子ども交流で芦峅甚句披露
佐伯 雄大(6年生)
飛行機の中で、ネパールはどういう所かとワクワクしていました。着いたら、予想以上にごみが多く、犬や牛がふつうに道路を歩いていました。
ぼくはネパールの子どもの遊びについて調べているので、バスで移動するときも、ネパールの子どもたちが何をしているのか見ていました。多かったのはサッカーでした。ぼくの予想は当たっていました。
一番びっくりしたことは、竹で作ったブランコでした。とてももろそうなのに、平気で立ちのりして、地面に平行になるまで高くこいでいました。ネパールの子どもは、とてもすごいと思いました。
クムジュンスクールの交流では、歌を歌ったり、芦峅甚句という村に伝わる踊りを披露したりしました。なんとかうまくいってよかったです。
もっとこま回しをする予定でしたが、高所で体調がよくなかったため、早く切りあげました。でも、ネパールの人たちが喜んでくれたことが分かり、うれしかったです。
できたらあと一カ月、ネパールで暮らしていたかったです。
ぼくの祖父のお墓参り実現
佐伯 廉(6年生)
カトマンズの空港からヘリコプターで、クムジュンスクールへ行きました。途中、ヒマラヤ山脈の山々がたくさん見えました。カトマンズの段々畑も見え、とてもきれいでした。
一時間くらいでクムジュン村の手前に降りました。そこは標高四千メートルほどあり、近くの山がとてもきれいに見えました。ゆっくり深呼吸しながら少し歩くと、ヤクという牛に似た動物がいたり、馬に乗っている人がいました。
そしてぼくのおじいちゃんの墓に着きました。おじいちゃんはネパールとの友好につくしたので、ネパールにもお墓があるのです。
お墓から、アバダムラムという六千八百メートルの山が、とてもきれいに見えました。こんないい所におじいちゃんはいたのかと思ったり、初めて来られたことがうれしくなり、お参りしました。
その後、クムジュンスクールに行きました。ここの人たちはとても優しくしてくれました。交流で、ぼくたちは学校の校歌を日本語とネパール語で歌いました。うまく歌えてよかったです。
またネパールに行って、おじいちゃんのお墓に行ったり、クムジュンスクールと交流をしたいと思いました。
カトマンズのごみ量に驚く
志鷹 洸(6年生)
ぼくがネパールで心に残ったことは、首都カトマンズで見たごみのことや、スワヤンプナートにいた貧しい人々、病気の犬などです。
カトマンズの市内観光をしているとき、川沿いや道ばたに、たくさんのごみが山のように積んでありました。それを犬やハト、カラスがあさっていました。ごみ収集が間に合わず、ごみ山になるというのは本当だと思いました。
ぼくたちは野口健さんのように美化活動をしようと、ごみ袋を持っていきましたが、あまりの多さに拾うこともできずに、ただただびっくりしていました。
スワヤンブナート寺院にいた貧しい人々は、その近くを通る人にネパール語で何か言っていました。「お金をください」と言っているのかと思うと、胸が苦しくなりました。寺院には病気で動けなくなっている犬もいました。
寺院のそばで生きていられるのは、お供え物を食べているからです。ネパールでは犬や猿は神様なので、お供え物は食べてもいいそうです。日本とはちがう文化だなあと思うとともに、少しかわいそうでした。
毎年、何げなく年末に募金していましたが、ネパールの貧しい人々のことを思い出して、少しでも役に立ててもらえるように募金していきたいです。
心に刻まれた世界遺産寺院
志鷹 美雪(6年生)
一番心に残ったことは、ネパールの世界遺産寺院の見学です。
スワヤンプナートという寺院は「父」という意味だと聞きました。日本とは違って屋根が丸かったり、猿がたくさんいたのでびっくりしました。
次に、母という意味の寺院ボダナートに行きました。とっても大きな建物でした。三周すると良いことがあると聞いていましたが、時間がなくて一周しかできませんでした。一周でも回れて良かったです。
ネパール訪問最後の日には、バクタプル寺院に行ってきました。たくさんの店と寺院がありました。その日はネワール族の正月で、大きなたいこや人でにぎやかでした。
王さまの住んでいた所には、すごく細かい彫刻がありびっくりしました。観光客が入ってはいけない所には、もっと細かい彫刻があってすごいと思いました。
ネパールには千二百年前の寺院があり、猿も普通に町にいます。不思議な所だなと思いました。
動物共存するネパール発見
志鷹 渉(6年生)
ぼくが日本よりネパールがいいと思ったことは、たくさんの動物たちが共存しているところです。
スワヤンブナートという寺院へ行きました。そこには猿がいました。でも日本の猿みたいにおそってきませんでした。ぼくが近づいたら逃げはするけど、おそってはきませんでした。
そこにいた犬も動物をおそわずずっと寝ています。腹が減って動く気がしないのかもしれないけれど、いいことだと思いました。
バクタブル王宮へ行ったときも、すぐそこに牛がいてもハトは当たり前のように逃げずエサを食べていました。でも犬がくるとハトも逃げてしまいました。仲が悪かったのは犬とハトだけでした。
ぼくは、日本では共存していないけどネパールは、いろいろな動物が共存しているなあと思いました。ネパールみたいに芦峅も猿やクマなどいろいろな動物と共存できたらいいなあと思いました。
でも現実は、おりを置いてクマをとらえたり、猿をじゅうでおどしたりしています。学校では、みんなで植えたチューリップの花やモクレンの花が猿に食べられました。
動物と共存することはなかなか難しいです。ネパールがとてもうらやましいなあと思いました。
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